名前を持つ服、歴史のある服。”思い出の服”を届ける LEBECCA boutique (前編)

初めまして。
「LEBECCA boutique(レベッカブティック)」ブランドディレクターの赤澤えると申します。

私共はearth music&ecologyを擁するストライプインターナショナル社により立ち上がった古着中心業態のブランドで、ラフォーレ原宿に唯一の店舗を構えています。

日本のファストファッション文化を支え、その利益により支えられている会社の1ブランドが、エシカルファッションを世に拡めるREBIRTH PROJECTやエシカルファッションと何の関係があるのか、と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

今回はこの場所をお借りし、ファストファッションを生み出す会社でブランドを続ける理由や、今後の挑戦について記したいと思います。


ファストファッション企業が、リサイクル産業に進出


私共のブランド「LEBECCA boutique」は、2016年3月12日、ラフォーレ原宿4Fの奥にて産声をあげました。
当時は「ファストファッション中心の大企業が、リサイクル産業に進出!」等と話題にしていただき、新聞やラジオを含む数々のメディアに取り上げていただくこともありました。

会社として東京進出の第1号店となったearth music&ecology ラフォーレ原宿店を畳み、その場所が私のお店になるという大事態。
私には学歴も知名度もありませんでしたが、ファッションブランド等でのPR業経験がこのオファーに繋がり、今に至ります。
名のある大企業での新業態、人生初の大挑戦。

ブランドの運営は順風満帆とはいかず、1年目から幾多の紆余曲折がありました。


歪みきった“ファッションの街”が、私の主戦場


古着7割、オリジナルアイテム3割。これが最初に決めた商品構成比です。
私は古着が好きなこともあり、元々あまり新品の服を買うことがなく大量生産の品は手をつけることすらしません。
しかし、そういう私が新品の服を生み出すことも仕事の1つとして受け入れることになったのです。

ブランド創設に向き合う日々の中、気がつくことや確信に変わることは多々ありました。

その1つは、ファストファッションブランドのみならず身のまわりにある現行のアパレルブランドのほとんどが「マーケティング先行のビジネス」であること。

そして業界はほとんど広告しか見えない世界に陥落していて、その広告にすら愛や熱がないことも少なくないということ。

本当に愛のこもった服を届けているブランドがどれなのか分からない、という生々しい現代のファッションシーンこそ、私がこれから分け入ろうとしている戦場でした。

気付かぬうちに似たような商品や広告に囲まれる日常。

生産側の愛やプライドの有無は見えてこない売り場。

自分の好きなものや大切にすべきことがわからなくなりそうな消費の仕方。

それを助長するようなPRに溢れるSNS。誰も異議を唱えず、声をあげてもそう簡単には届かない、歪みきった“ファッションの街”。
そこで私はファッションを生業としようとしている。

決心した後も高くて厚い壁は無数に現れ、やっとのことで踏み出せた一歩で崖に落ちる、そんな感覚の毎日でした。


服に名前をつける、変わり者のブランド


私は前項に記したような大きな問題意識に苛まれながらも「ヴィンテージアイテムからパターンを取ること」「完成した服の商品名を自分で決めること」「名前の由来となったエピソードはノンフィクションであること」にこだわり、オリジナルアイテムの製作に取り掛かりました。

最初につくったワンピースの名前は「私たちのワンピース」。イタリアに渡った時に譲り受けたものからインスピレーションを受けてつくりました。

商品名:「私たちのワンピース」ストーリー

最初の頃は変わり者だと鼻で笑われることもたくさんありましたが、ネーミングとそれに付帯するストーリーは、 “世に溢れるほど有り余っている服と一緒になって、私たちのアイテムがゴミになりませんように”という思いを込めて起こし続けているアクションでもあります。


アメリカで見た、底なしの服服服。


このアクションを続けていることにはもう1つ、理由となった体験があります。
それは、店舗をオープンさせて1ヶ月が経った頃。私は古着の買い付けのために渡ったアメリカで信じられない光景を目の当たりにしました。

これらは全て服。
広大な土地全体にどこまでも広がる、高く積まれた服の山です。

私は初めて目撃する“ファッションの墓場”のような場所で、膝をついて大泣きしました。
こんなに服が余っているのにまだつくろうとしている自身の罪深さ、既に背負ってしまっているその使命、ブランドを運営しているのは自分だけではなく仲間たちがいるという責任の重大さ、そして何よりも目前に広がるこの地獄のような光景、それらが一瞬で重くのしかかったのです。

生産者や消費者という垣根を越えた「人間」のエゴを強く感じた瞬間でもありました。

ただただ涙が抑えられず、子どものように泣いたのを昨日のように思い出します。

怒り任せに現場の写真を社長に送りつけ、こんなに服が余っているのを知っているのかと詰め寄ったことも記憶に新しく、あの時の私はどこをどう切り取っても混乱していました。

自分が今まで感じてきたアパレル業界への違和感がはっきりと姿を表した感覚があり、それを拭えないままSNSにも書きなぐるように投稿しました。

帰国後、その投稿を読んだ様々な方の厚いケアやサポートを賜り、私は服づくりを辞めるのではなく、「辞めたくなるような服づくりをしない」という方向に考えを持ち直しました。

それが「完成した服の商品名を自分で決めること」にこだわり続けている理由の1つです。
この光景を見る前に始めたことではありますが、この体験を通して私の使命に変わったような気がします。

(後編へ続く)

 

赤澤える

LEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。
特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。チケットは下記のクラウドファンディングより。
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